これは、雑誌『神経研究の進歩』(医学書院)の特集「記憶研究最近の進歩」(2001)に掲載した解説論文の原稿です。
医学・生理学系の研究者向けに数式を使わずできるだけ平易に書いたつもりですが、全く専門外の人にはやや難しいかもしれません。
なお、本ページの内容を無断で転載したり配布したりしないで下さい。
対連合記憶の神経回路モデル
あらまし
記憶のメカニズムに対するシステム的な理解を深めるためには,記憶のメカニズムに対するシステム的な理解を深めるためには,計算論的な考察に基づいてモデルを構築し,その動作を検討する方法が有効である.そのようなモデルの例として,対連合記憶の神経回路モデルについて述べる.このモデルは,記憶の保持と想起を行う回路網および記憶形成に必要な学習信号を生成する回路網から構成され,両者の相互作用によって記憶形成が行われる.これにより,対連合課題を自然なメカニズムで遂行できるだけでなく,サルの下側頭葉皮質で観察される特徴的なニューロン活動を説明することができる.また,このモデルに基づいて,側頭葉における記憶の神経機構について考察する.
1. はじめに
近年の研究の発展によって記憶に関する重要な知見が次々に得られており,記憶メカニズムの解明も近いように感じられるかもしれない.しかしながら,記憶の原理的・システム的な理解に関しては,ほとんど進んでいないのが実情ではないであろうか.例えば,情報がどのように符号化されるのか,それが長期記憶としてどのように構造化されるのか,その記憶がどのようにして読み出され利用されるのか,そしてこれらの過程がどのような神経機構によって実現されているのか,といった問題の大部分が未解明である.これらの問題は,いくら多くの実験データを蓄積していっても,それだけで解決できるものではなく,かえってデータの洪水や矛盾による混乱を招く恐れがある.このような状況を打開する有力な手段と考えられるのが,計算論的アプローチによって神経回路モデルを構成する方法である.
一口に神経回路モデルと言っても,その目的やモデル構築の方法はさまざまである.実際の脳の神経回路構造をできるだけ忠実に再構成したモデルがある一方で,数学的解析のために極端に理想化したモデルもよく用いられる.しかし,前者では何が本質的な原理なのかよくわからないし,後者は実際の脳とのギャップが大きすぎるため,その結果を脳に適用するのは危険である.そのほか,ある機能を実現することを目的とした工学的モデルの多くは,脳とほとんど関係しないか恣意的な関連づけしかできない.
本稿で扱うモデルは,脳の解明に貢献することを第一の目的として,上記のものとは異なる方法で構成される.すなわち,比較的少数の基本的な知見や重要な実験データを元に,ある機能やニューロン活動を現実的な制約条件の下で実現するためにはどのような原理が必要かを計算論的に検討し,それに基づいてできるだけ単純なモデルを構築する.このようにして構成されたモデルは,必ずしも現実の神経回路と同じではないが,脳の本質的な動作原理をとらえ,システム的な理解を深めることを可能にすると考えられる.
さて,このようなアプローチの出発点として,ここでは下側頭葉皮質(IT)の対連合記憶関連ニューロン活動を取り上げる.ITおよびその周辺部は,視覚情報の記憶と深く関係していることが知られており,多くの興味深い知見が得られている.中でも対連合課題を遂行中のサルで観察されたpair-codingおよびpair-recallと呼ばれるニューロン(Sakai and Miyashita, 1991)の活動は,関連する情報が脳内でどのようにコードされ記憶されるか,またそれがどのように読み出されるか,について重要な示唆を与える.
しかしながら,このニューロン活動がどのような神経機構によって生み出されているのか不明であるし,後述のように従来の神経回路モデルでこれを説明することはできない.本稿では,計算論的な考察に基づいて構築した,対連合記憶を形成し記憶課題を遂行する神経回路モデルを紹介する.また,モデルの挙動と生理学的知見とを比較検討することによって,側頭葉における記憶のメカニズムについて議論する.
なお,一般にモデルを正確に記述するためには数式が不可欠であるが,以下ではあえて数式を省き,理論になじみがない人にも理解できるよう直観的な説明を心がける.そのため,議論に数学的厳密さを欠いている部分があることをご容赦願いたい.数式やパラメータなどモデルの詳細については,末光と森田(2001)およびその他の文献を参照されたい.
2. モデルの背景
2.1 対連合記憶関連ニューロンとその解釈
SakaiとMiyashita (1991)は,コンピュータで生成した24個の図形を適当に組み合わせて12組の図形対を作成し,これを用いてサルに対連合課題を行わせた.これは,図形対の一方をcueとして短時間提示し,数秒の遅延期間の後に提示した図形がcueの対図形(target)であるかどうかを判断させるというものである.課題の正答率が十分高くなるまで訓練した段階で,微小電極を用いてIT(主にTE野)のニューロン活動が測定された.結果の要点を簡単にまとめると,次のようになる.
まず,刺激選択性のあるニューロンの多くは,少数であるが複数の異なる図形に反応を示し,それらの図形間に特に共通する図形的特徴はなかった.このことは図形を独立に学習させた場合(Miyashita and Chang, 1988; Miyashita, 1988)と同じであるが,このほかに対連合課題を学習したときに特有の2種類のニューロンが観測された.一つは,1組の図形対の両方に強く反応し,多くの場合遅延期間中も持続的に活動するもので,pair-codingニューロンと呼ばれる.もう一つは,cueにはほとんど反応しないが遅延期間中に徐々に活動を高めていき,target提示時に活動が最大になるもので,pair-recallニューロンと呼ばれる.
さて,この実験結果をシステム論的な立場から見たとき,次のように解釈するのが妥当と思われる(図1).まず,各図形はITにおいてあるニューロン群の興奮パターンによって表現される.このパターン(図形のコード)は,興奮しているニューロンの割合が低いスパースなパターンであり,図形の部分的特徴とはほとんど無関係に決まる.しかし,連合された二つの図形のコードは,興奮しているニューロンの一部が重複する.この重複部分がpair-codingニューロンに対応する.また,cueを提示した後の遅延期間中,ニューロン群の活動はcueをコードする状態からtargetをコードする状態へ徐々に遷移していく.この過程において,いくつかのニューロンがpair-recallニューロン活動を示す.
図1 想起過程における興奮パターンの推移
この解釈が正しいとするならば,このような遅延期間中の興奮パターンの変化は,図2に示すような力学系がITの神経回路によって構成されていることを示唆する.この図は,系の安定性を模式的に表現したもので,面上の各点が一つの状態(興奮のパターン)を表し,高さがその状態のポテンシャルエネルギーを表している.外部からの入力信号がなければ,系の状態すなわちニューロン群の興奮パターンはエネルギーが低くなる方向へ変化する.したがって,周囲よりエネルギーの低い状態は安定であり,このような状態のことをアトラクタとよぶ.
図2 対連合が形成された回路網の仮想的なエネルギー地形
図2には3本の溝が描かれているが,それぞれが一つの対連合記憶に対応し,溝の両端が図形をコードする状態である.このように,cueやtargetをコードする状態だけでなく,その間を結ぶ経路全体が周辺の状態よりエネルギーが低いこと,そしてその経路沿いのエネルギー地形が滑らかであることが,興奮パターンの連続的な変化に必要だと考えられる.そうでなければ,状態遷移の途中で引っかかってしまったり,パターンの不安定性のため興奮が維持できなくなったりするからである.
2.2 非単調素子モデルとfeedforward抑制型モデル
ところが,上記のような力学的構造を神経回路で実現するのは,そう容易ではない.これまで一般的に用いられてきた連想記憶の神経回路モデルでは,ある興奮パターンをアトラクタとして記憶すると,その状態に近いところほどエネルギーが低下し,エネルギーの地形が尖ったものになる.また,近接する複数の状態をアトラクタにしようとすると,その周辺は凹凸の激しいエネルギー地形となり,あるアトラクタから別のアトラクタへ連続的に状態遷移するのは非常に困難である(森田,1995; Morita, 1996a).したがって,従来の単純な神経回路モデルでは,上記の解釈に基づいてITニューロンの活動を説明することはできない.
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図3 非単調素子の入出力特性 |
この問題を解決する手段として,非単調素子モデル(森田ほか,1990; Morita, 1993)を用いる方法がある.これは,神経回路網を構成する各細胞の入出力特性を,図3に示すような非単調増加関数にしたものである.このモデルでは,アトラクタの周辺のエネルギー地形がなだらかになるため,図2のような地形を形成することができる.それだけでなく,溝に沿って緩やかな流れを作ることもできるため,たとえかなりのノイズがあっても,溝の一方の端点からもう一方へ自動的に状態遷移することが可能である.このような流れをもった溝のことを軌道アトラクタと呼ぶ.非単調素子モデルにおける軌道アトラクタの形成法については,Morita (1996a)を参照されたい.
しかしながら,実際の脳のニューロンは,図3のような入出力特性はもたない.また出力が負の値をとるなど,このモデルは生物学的な妥当性に欠け,ITのニューロン活動のモデル化という目的には適さない.そこで考案されたのが,以下に述べるfeedforward抑制型モデル(森田,1991,1994; Morita, 1996b)である.
図4 feedforward抑制型モデル(回路網N1)の構造
このモデルは,図4に示すように,興奮性細胞Ci+と抑制性細胞Ci-からなるユニット(破線で囲まれた部分)が相互に結合した構造をしている.Ci+は系の外部からの入力信号zi と他のユニットからの再帰的な入力を受けてxi を出力し,それがユニットの出力となる.一方,Ci-は他のユニットからの入力に応じてCi+をfeedforwardに強く抑制する働きがある.各細胞はシグモイド型の入出力特性をもち,出力値は入力の荷重和に応じて0から1まで単調に増加するが,ユニットの入出力特性は適当な条件下において非単調となる.すなわち,ユニットへの入力が小さいときには出力xi は入力とともに増加するが,入力がある値以上に大きくなると,抑制性細胞の出力の増大によりxi は減少する.
このようにfeedforwardの抑制を加えることによって非単調素子モデルと同様なダイナミクスが得られるが,これが単調な特性の細胞を組み合わせてユニットの非単調特性を実現する最も単純な方法であることを注意しておく.また,feedforwardの抑制機構には回路網の活動レベル(全ユニットの出力の合計)を低く一定に保つ働きがあるため,ITで見られるようなスパースな興奮パターンを扱うのに非常に適している.実際これにより,ITの短期記憶ニューロン(Miyashita & Chang, 1988)の活動分布をうまく説明することができる(森田,1991,1994).
このモデルの学習は,成分が0または1をとる学習信号ベクトルr を与えることによって行われる(Morita, 1996b; 森田,1997).具体的には,i 番目のユニットへ送られる学習信号をri としたとき,j 番目のユニットから興奮性細胞Ci+への入力シナプスをri xj に比例して増強する.また,抑制性細胞Cj-への入力シナプスは,ri xj に応じて抑圧するが,xi が大きな値のときには逆に強めるようにする.
学習の過程を模式的に示したのが図5である.図中の小球は回路網の興奮パターンx を,矢印は現在の学習信号ベクトルr を表す.直観的に言うならば,上述のシナプス強化によってr が指示する状態およびその周囲のエネルギーが低くなる.したがって,r が時間的に一定ならば,その点を中心とする点状のアトラクタが形成される(a).しかし,r がゆっくりと連続的に変化したならば,x は少し遅れてそれに追従するため,その軌跡に沿ってエネルギー地形に溝が刻まれる(b〜d).また,x からr の方向,すなわちr の進行方向に緩やかな流れが生じる.このような学習を数回繰り返すと,溝はより深く明瞭になり(e),最終的にr の軌跡に沿って軌道アトラクタが形成されることになる.
図5 学習過程の模式図
2.3 解決すべき問題
上述のように,feedforward抑制型モデルを用いれば,図2のようなエネルギー地形を形成すること自体は可能である.しかしながら,ITにおけるの対連合記憶をモデル化するためには,以下の問題を解決しなければならない.
(1)実際の対連合課題では,図形対のどちらがcueになるかは試行ごとにランダムに選ばれるから,サルは対図形を双方向に連想できなくてはならない.これに対して,軌道アトラクタに沿った状態遷移は一方向のみである.逆方向の学習を追加しようとしても,両方向の軌道が近接していると干渉によってうまく学習できない.
(2)課題においてサルに提示されるのはcueおよびtarget図形であって,cueからtargetにゆっくり連続的に変化する時系列パターンが与えられるわけではない.しかし,モデルの学習信号として A から B へ不連続もしくは急激に変化するパターンを用いたのでは,記憶が全くできないか,複数の独立したパターンが記憶されるだけでcueからtargetへの連想はできない.
(3)実際の課題では,サルは遅延期間後に再提示した図形がtargetか否かを識別することが求められる.したがって,モデルにもtargetを識別する自然なメカニズムがなくてはならない.例えば単純に想起したパターンと入力パターンとを成分ごとに比較する方法は,脳のモデルとして妥当とは思えない.
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図6 学習信号の経路 |
これらの問題点を検討していくと,まず(1)は双方向の学習信号の経路がある程度離れるようにすれば解消できる.すなわち,図6に模式的に示すように,二つの興奮パターン a と b をまっすぐ結ぶ経路ではなく,そこから少し離れたところにある別のパターン a' および b' へ向かう経路を用いればよい.但し,こうすると学習後に a をcueとして与えたとき,b とは多少異なるパターンが想起されることになる.
しかし,問題点の(3)を逆に言えば,targetの識別さえできるならばそれを完全に想起する必要はない,ということであり,実際 b を想起しなくてもtargetを識別することは可能である(Suemitsu and Morita, 1999).したがって,問題はcueとtargetが逐次的に入力されたとき,適切な学習信号をどうやって自動生成するか,という点に集約される.
その方法としてまず考えられるのは,入力パターンs を学習信号r に変換する神経回路N2を,記憶を形成する回路網(N1とする)とは別に設けることである.しかし実際には,逐次的な入力から図6のような軌道上をゆっくり変化するパターンへの変換を単独の回路網によって実現するのは非常に難しい.これは,cueパターンに関する情報を保持することと,targetパターンの入力によって出力パターンを望ましい状態まで連続的に変化させることを,一つの回路網で両立させるのには無理があるからである.また,r にはN1の状態遷移を先導する役割があるのに,N2の出力がN1の状態と無関係に決まることも問題だと考えられる.
3. 対連合記憶形成のモデル
以上を背景として検討を重ねた結果,前節の問題点は,記憶回路網N1の出力を学習信号を生成する回路N2にフィードバックするだけで解決できることがわかった.回路の単純化をできる限り進め,最終的に構成したのが以下のモデルである.
3.1 モデルの構造
図7はモデル全体のブロック図である.回路網N2の出力r が学習信号として回路網N1に送られるとともに,N1の出力x がN2にフィードバックされる構造になっている.入力パターンs は本来N1とN2の両方に入力されるべきものと考えられる(後述)が,本モデルではN2への入力のみを用いている.
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図7 モデルのブロック図 |
図8 学習信号生成回路N2の構造 |
回路網N2は図8のような構造をしており,N1のユニットと同数の細胞からなる.i 番目の細胞Ci は,入力パターン s = (s1,...,sn ) をシナプス荷重pij を介して受け,N1のi 番目のユニットに対する学習信号ri を出力する.
この回路は基本的にランダム変換回路であり,入力シナプスの荷重pij はランダムな値をとる.また,細胞Ci はN1の全てのユニットからフィードバックを受けるが,そのシナプス荷重qij もランダムである.同時に,この回路は一種の競合系を構成しており,各細胞は他の細胞への側抑制と自分自身への興奮性結合をもつ.これにより,少数の細胞が大きな値を出力し他の細胞の活動は抑えられるから,r はスパースなパターンとなる.
3.2 モデルの動作
学習時のモデルの動作を理解する上で重要なのは,二つの回路網N1とN2の相互作用である.N2の出力r はN1の各ユニットに対する学習信号であると同時に興奮性入力でもあるため,一般にx とr とは(ベクトルの大きさを除いて)かなり類似する.但し,r が変化する際にはx はr の少し後ろを追従し,仮にr が不連続的に変化したとしてもx はゆっくり連続的に変化する.一方,N1からN2へのランダム結合は,x に依存して決まるある方向へr を動かそうとする作用をもつ.但し,N2は競合系であり,一度大きな出力を出した細胞はそれを維持しようとするから,N2への入力が大きく変化しない限りr が急激に変化することはない.
これを踏まえて,休止状態(すべての細胞の出力がほぼ0)においてcueとなるパターン A を入力し,遅延期間の後にtargetであるパターン B を入力した場合を考えよう.まず,A をある期間入力し s = A の状態をしばらく保つと,回路網N2は A をランダム変換したパターン a を出力し,少し遅れてN1も a に近いパターンを出力する.N1の出力x はN2にフィードバックされるが,A が入力されている間はr はほぼ一定である.
次に,A の入力を終えて s = 0 とすると,N1からのフィードバックの影響が相対的に強まってr が動き出し,a からやや離れたパターン a'' に向かう(図6参照).ここで B を入力すると,r は休止状態で B を入力したときの出力パターン b の方向へ移動していく.しかし,r は中立的な静止状態ではなく a'' から出発するため,b には到達せず,a'' 寄りの状態 b' で止まる.
同様に,B をcue,A をtargetとして順に入力すると,b から b'' を経由して a' に至る学習信号が生成される.ここで,もしN1からN2へのフィードバックがないと,r の移動速度がうまく調節されないだけでなく,双方向の経路が非常に接近してしまうことに注意されたい.
このようにして学習信号を生成しつつ,前述のN1の学習をを行うと,図6のような経路をもつ軌道アトラクタが形成される.その結果,N1に a を入力するとx は b' に達するが,その状態で b を入力したときのN1の反応は,他のパターンを入力したときよりも強いと考えられる.最初に b を入力し,遅延期間後に a を入力した場合も同様である.
ところで,実際にモデルに与えられるのは A や B などのパターンであるから,課題を実行する際これを a や b に変換してからN1に入力する必要がある.ここでは簡単化のためこの変換にもN2を用いるが,s を直接N1に入力し(図7の破線),その入力シナプスの修正によってこの変換を学習することも可能であり,そうすれば課題の実行はN1単独でできることになる.
3.3 計算機シミュレーション
シミュレーション実験の例を示す.モデルのサイズ(N1のユニット数)は1000とした.実験の手順は以下の通りである.
まず,1000次元の2値パターンを20組(40個)ランダムに作成する.次いで,最初のパターン対の一方( A とする)を短時間モデルに入力し,遅延期間の後にもう一方( B )をしばらく入力する.モデルをいったん休止状態にリセットしてから,今度は逆の順序( B, A の順)で二つのパターンを入力する.再びモデルをリセットして,次のパターン対( C, D )を2通りの順序で入力する.以下同様にすべてのパターン対を順に入力すれば1回の学習が終わるが,これを20回繰り返した.
学習後のモデルに短時間cueパターンを入力し,遅延期間の後にtestパターンを入力する.これを1試行とし,さまざまなcueおよびtestパターンの組み合わせについてテストを行った.結果の一部を図9に示す.これは,N1のユニットのうち A 〜 D のいずれかをコードするものを適当に20個選び,それぞれの出力値の時間変化をプロットしたものである.最初の4試行は A を,次の3試行は B を,最後の5試行は C または D をそれぞれcueとした場合であり,このうち第2, 5, 10, 12試行がtestパターンがtargetに一致するmatch試行である.
図9 学習後のモデルの反応
Aをcueとした4試行を比較するとわかるように,testパターンとして B を入力したとき,それまで大きな出力を出していたユニットが出力を更に増大させるのに対して,C や D を入力したときにはそれらの多くが出力を低下させている.また,cueパターン A を再入力しても,B を入力したときほど強い反応は見られない.逆に B をcueとした場合,A の入力によって最も強い反応が生じている.Cや D をcueとした場合についても同様である.
図10は,testパターンを入力したときの全ユニットの出力分布を示したものである.(a)と(b)は,それぞれtargetとそれ以外のパターンに対する典型的な反応の例である.feedforward抑制型モデルの性質により出力値の平均にはあまり差がないのであるが,分布には明確な違いがあることがわかる.例えば0.5以上の出力値をもつユニットの数で比較すると,(a)は(b)の約3倍であり,これにより両者を容易に判別できる.他のすべてのパターン対についてもテストしたところ,出力の分布によって常に正しくtargetを識別することができた.
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(a) targetパターンを入力した場合 |
(b) target以外のパターンを入力した場合 |
図10 ユニットの出力値の分布
更に,個々のユニットに着目すると,ITニューロンと同様な活動が見られることがわかる.例えば,図9の20番目のユニットは,A と B の両方に反応し遅延期間中も比較的大きな出力を持続しているが,これは前述のpair-codingニューロンの活動と定性的に一致する.また,cueに全く反応しないにもかかわらず遅延期間中に出力を増してtarget入力時に強い反応を示すユニットが多数あるが,これはpair-recallニューロンの活動と合致する.これらのユニットは,targetとcueを入れ替えた試行では遅延期間中に活動が低下しているが,この点もpair-recallニューロンと同じである.
4. 考察
以上のように,本モデルは対連合課題を遂行する能力を備えているだけでなく,ITで観察されるニューロン活動をかなりよく再現することができる.また,計算論的な要請に基づいて構築されていること,生物学的に無理のない動作原理に従っていることなどから,側頭葉の記憶システムでも基本的に同じ原理が用いられていると著者らは考えている.そうであるならば,このモデルは実際の神経の回路構造を直接モデル化したものではないにもかかわらず,脳の神経機構を反映しているに違いない.では,モデルの学習信号生成回路N2に対応する脳の領域はどこであろうか.
第一に,N2はN1との相互作用が重要であるから,対応する脳領域はITの一部であるが,ITとの間に強い線維連絡をもたねばならない.また,N2は対連合課題の学習に必要であるが,学習した課題の実行には必ずしも不可欠ではない.これらに該当する脳部位は,側頭葉内側部の嗅皮質(嗅内皮質および嗅周皮質)である.この領域は,TE野と双方向に密に連絡しており,その損傷によって対連合課題の学習が障害される(Murray et al, 1993).
更に,半側の嗅皮質を破壊したサルに対連合課題を学習させたところ,破壊した半球のTE野にも図形選択性を示すニューロンはあったが,対連合記憶関連ニューロンは見られなかった(Higuchi and Miyashita, 1996).モデルにおいてN2が機能しない場合,cueおよびtargetパターンを独立に学習することは可能であるが,両者を連合することはできない.このことからも,N2を嗅皮質に対応づけるのが妥当と考えられる.
ところで,サルの海馬体を切除しただけでは,対連合課題の学習能力はあまり低下しない(Murray et al, 1993)ことから,今回のモデルのN2は海馬体には該当しないと考えられる.しかし,Eichenbaumら(1994)が指摘しているように,嗅皮質と海馬体とがそれぞれ別の形で対連合学習に関与している可能性が高い.したがって,今後このモデルに海馬体の損傷で影響を受けるような課題を適用し,N2に加えるべき機能を検討することによって,海馬体の機能の一部をモデル化することが可能かもしれない.
最後に,本モデルによって説明されるその他の実験データや予測される現象を列挙する.
(1) 対連合課題において,刺激図形の中に類似したものがあるとき,それがcueである場合よりtargetである場合の方が誤答率がはるかに高いことが知られている(Rainer et al, 1999).また,その際の誤答は大部分がtarget以外のtest刺激をtargetと答えるものである.いま,モデルにおいて A と C が類似し,したがってそれらをコードするN1の状態 a と c が近かったとしよう.このとき,A をcueとして与えれば,N1の状態は c に影響されることなく図6の a から b' に到達するから,特に誤答は生じない.一方,B をcueとしN1の状態が a' に達した状態で C がtestパターンとして入力されると, a' は c とも比較的近いため,多くのユニットが強く反応してしまう.ここで, a と a' は一致しないため,A をコードするユニットがすべて反応しなくても,ある程度多数のユニットが強く反応した場合にはmatchと判定せざるを得ない.その結果,C をtargetと誤認識する可能性が生じる.このように,上記の知見はモデルによって説明されるとともに,脳内における a と a' の不一致を示唆する.
(2) Murrayら(1993)の実験において嗅皮質を切除したサルは,新しい刺激セット(図形対の集合)は何回学習しても正答できないのに対し,切除前に学習した刺激セットに関しては,再学習に要する時間が正常なサルより若干長いものの,正しく答えることができた.3.2節の最後で述べたように,モデルのN2は,学習完了後は入力パターンをN1でのコードに変換するためだけに働き,しかもその機能は他の回路で代替可能である.したがって,この実験結果もN2を嗅皮質と見なすことによって説明できる.
(3) 同じMurrayら(1993)の実験の中で,cueおよびtarget図形を直接連合させる前に中間的な図形(両者を重ねたもの)との連合を訓練すると,対連合学習が大きく促進されることが示されている.モデルにおいても同様な誘導は効果的であるが,更にこれを拡張すると,「図形対を補間して徐々に変化する図形を連続的に提示すれば,嗅皮質を切除したサルでもある程度の学習が可能」という予測が成り立つ.但し,このような強制的な誘導は,N2で生成する学習信号と干渉することにもなるから,正常なサルでは逆効果かもしれない.
(4) N1からN2へフィードバックされる信号は,パターン対を双方向に連合する際に特に重要である.したがって,仮にTE野から嗅皮質へ向かう信号経路だけが切断されたならば,常に一方の図形をcueとする単方向の連合に比べて,双方向の連合学習がより強い障害を受けると予測される.
(5) 前節のシミュレーションにおいて,遅延期間中に出力が増加するユニットは多数あるが,増加が始まるタイミングはまちまちである.このことはN1の状態遷移の連続性を反映している.したがってITのpair-recallニューロンにも,cue提示直後から活動しはじめるものや少ししてから活動を増すもの,かなり遅れて活動を開始するものなどがあると予測される.[注:本稿が受稿された後,この予測を実証する実験データがNayaら(2001)によって報告された.彼らはまた,36野(嗅皮質の一部)とTE野のpair-recallニューロン活動の時間変化を比較しているが,その結果も本モデルを強く支持するものである.]
(6) 図9の第2試行と第5試行を比較するとわかるように,cueパターン A から B を連想する場合と B から A を連想する場合で,ユニットの活動が全く逆の時間経過をたどるわけではない.これは,図6に示したように状態遷移の経路が両方向で異なるからであり,ITの対連合記憶関連ニューロンの多くが同様な非対称性を示すと予測される.
(7) 例えば図9の14番目のユニットは,C と D の両方をコードしているが,C をcueとして与えても遅延期間中の活動は低下する.これは,N1の状態が c から d へ直線的に遷移しないために生じる現象であり,ITのpair-codingニューロンの一部に遅延期間中の持続的な活動を示さないものがあることを予測する.
(8) B をcueとして与えたとき,遅延期間中に A をコードするユニットの全部が出力を増すわけではない.また,大きな出力を出すユニットの一部は,testパターンとして A を入力すると出力が低下する.これらは,(1)でも触れたように A をコードするN1の状態 a と遅延期間中に到達する状態 a' とが一致しないことに起因し,ITにも同様なニューロン活動があることを予測する.
(9) 上記(5)〜(8)はN1の興奮性細胞に関する性質であるが,抑制性細胞はそれとはかなり異なり,入力パターンに応じて活動が大きく変化することはあまりない.また,遅延期間中の活動レベルは比較的低く,変化量も小さい.このためその活動にはあまり意味がないように見えるが,前述のように実は重要な機能を果たしている.ITニューロンには図形選択性をほとんど示さないものも多いが,少なくともその一部はモデルの抑制性細胞によって説明可能と思われる.
5. おわりに
計算論的アプローチに基づく対連合記憶の神経回路モデルについて述べた.このモデルは,サルの下側頭葉皮質で観察されるニューロン活動を再現し,対連合課題を遂行できるだけでなく,側頭葉内側部の機能および皮質との相互作用に関して具体的な形で仮説を提起する.更に,このモデルを基にして,記憶系に関する計算論的研究をさまざまな方向へ展開することが可能である.
例えば,モデルに若干の修正を加えればPACSと呼ばれるより複雑な課題(Naya et al, 1996)に適用できるし,想起に関連する前頭葉からの信号(Tomita et al, 2000)のモデル化が可能かもしれない.また,前節で触れたように,海馬体の機能に関しても新たな視点からモデル化できる可能性がある.これらは,いずれも側頭葉の記憶システムを解明する大きな糸口になりうるものである.
もちろん,本モデルにもいくつかの問題が残されており,対連合記憶に関する知見のすべてが説明されるわけではない.中でも学習に伴うpair-codingニューロンの比率の増加は,記憶の構造化の問題と関連して非常に重要と思われるが,現在のモデルはこの点の扱いが不十分である.これを解決するには学習信号生成回路に可塑性を導入することが必要と考えられるが,これは嗅皮質の可塑性とも絡んで興味深い課題である.そのほか,実験データとの詳細な比較や上述の予測の実験的検証など,さまざまな観点からモデルの妥当性を検討することが今後求められる.但し,これらを行うためには,モデルの解析や改良だけでなく,計算論的な考察に基づいて計画された生理実験や心理実験が必要である.これらがうまくかみ合って,記憶のメカニズムに関するシステム的理解が進むことを期待したい.
文 献
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