本年度は,昨年度に引き続いて時系列パターン処理に関する研究を進め,成果をまとめた[1,2].また,対連合記憶の形成機構のモデル化に取り組んだ[3].ここでは後者について,まだ途中段階であるが報告する.
記憶と思考の神経回路モデルの研究
森田昌彦(班員)
筑波大学 電子・情報工学系
背景
対連合課題を学習後のサルの下側頭連合野において,pair-coding および pair-recall と呼ばれる特徴的なニューロン活動が報告されている[4].また,これらのニューロン活動は,海馬との連絡経路である嗅内野や嗅周野を切除すると見られなくなる[5].
このような知見は,長期記憶の情報表現や想起のメカニズムのみならず,記憶の形成機構やその過程における海馬系の役割を考える上で興味深く,理論家からも注目を集めている.しかしながら,これらの実験データをうまく説明する具体的モデルは未だ存在しない.本研究の第一の目的は,そのようなモデルを構成し,その動作原理を示すことである.また,我々は「ある種の記憶を形成するのに必要な学習信号が海馬系で生成される」という仮説[6]を立てているが,この仮説の具体化を進めることにも狙いがある.
モデル1
まず,いくつかの仮定の下に,上述のようなニューロン活動を実現できる動作原理について検討した.その結果,フィードフォワード型の抑制細胞をもつ神経回路網に,ある条件を満たす学習信号を与えればよいと考えられた.そこで,そのような学習信号を人工的に作成して学習を行ったところ,学習後のモデルは cue パターンの1つを短時間与えるだけで対応する target パターンを連想することができた.この状態で target パターンを入力すると,それ以外のパターンを入力したときより反応がするどいため,細胞群の出力値の分布だけから target が入力されたか否かが識別できる.また,図1に示すように,上述の生理実験における pair-coding ニューロンや pair-recall ニューロンと同様な反応を示す細胞があることが確認された.
図1 細胞の出力の時間変化の例
図2 モデル2の構成
学習過程において,モデルに cue パターン A が入力されたとしよう.このとき N2 は A を変換したコード A' を学習信号 R として N1 に送る.これにより N1 は A' を学習するが,同時にその出力 X( A' にほぼ等しい)が N2 に戻される.遅延時間の後 target パターン B が入力されても, N2 は N1 から X ≒ A' を受けているので,R は A' から少し変化するだけである.しかし,それによって X が変化し,それがまた R を少し変える,という繰り返しにより,学習信号 R はあるパターン B' まで徐々に変化し続ける.B' が B に対応するコードとなるが,結果的に A' と B' の間にはかなりの相関(パターンの類似)が生じる.pair-coding および pair-recall ニューロン活動の再現には,このような相関の発生および学習信号の緩やかな変化が,それぞれ本質的な役割を果たす.
計算機シミュレーションにより,このモデルがうまく動作し,モデル1と同様に実験データを説明できることが確認された.また,学習信号生成部が海馬系に対応すると考えれば,嗅内野などの切除実験の結果とも矛盾しない.但し,今回のモデルで N2 として用いた回路網は,いくつかの点で海馬のモデルとしては不適当であり,むしろ嗅内野のモデルと言える.モデルの改良および脳内の神経機構との対応付けは今後の課題である.